西は生駒山系列が連なる丘陵地と東は木津川の堆積によって形成された平野部からなる京田辺。大規模な宅地開発も進む一方で、市内には山林や竹林が残り、南部地域には昔ながらの里山の風景も広がる。農業も盛んなこともあり、市の緑被率は今でも60%近い。長い歴史とともに育まれてきた京田辺の自然の魅力を紹介する。
お話を聞いた方:
松尾 憲雄さん(京田辺市観光協会)
熊澤 正博さん、藤野隆司さん、三枝 忠生さん、(京田辺市観光ボランティアガイド協会)
はるか古代から人と物資を運んできた木津川の存在は京田辺の歴史と発展にとって欠かすことはできない。木津川は三重県の青山高原を源流とし、三重県伊賀市東部から京都府に入り、南山城村、木津川市と流れ、京田辺市を通過する。その後、八幡市で宇治川、桂川と合流し、最後は淀川となって大阪湾へと注ぐ。かつての都奈良と、京都、大阪を結ぶ水上交通の大動脈だった。木津川沿いの丘陵地飯岡は、他に目印となるものがなかったため、はるか昔から水上交通上のランドマークとして機能してきた。また、川の恵みは農業の発展にも欠かせないものだったであろう。
木津川に流れ込む市内の主要な支流河川は、北から大谷川、虚空蔵谷川、手原川、天津神川、馬坂川、普賢寺川、遠藤川等があり、この南山城地域の木津川は、長年にわたり土砂の堆積が進み、その結果、水面が上昇し、それまで木津川に流れていたこれらの支流が流れにくくなり、何度も水害に見舞われてきた。これを解消するために、山間から流れる支流の川底を3〜4m、地面から上げてきた。これが天井川の所以だ。かつては支流の多くが天井川だったが、現在では天津神川、防賀川及び馬坂川のみが、天井川の様式を残している。天井川の下を電車が通過する部分にはマンボとよばれるレンガ造りの水路橋が今も残る。
市内の北西部に位置する甘南備山。古くから信仰の対象となってきた京田辺一番のランドマークだ。この山を南の基点として、北の船岡山と結ぶ直線を都の中心軸に、平安京の大極殿、朱雀門、朱雀大路、羅生門などが建設されたと言われる。また、ここは多種多様な植物が自生している自然の宝庫でもある。京都府の絶滅危惧種に指定されている野草などを観察することができるほか、「京都の自然200選」(その他京田辺市内では「咋岡神社のスダジイ」や「棚倉孫神社のケヤキ」がある)に選定されている小動物や野鳥も生息している。近年ハイキングコースが設置され、街中に住みながら豊かな自然を満喫することができるスポットとして人気だ。
甘南備山以外にも京田辺には気軽に楽しめる自然が多く残る。南部の普賢寺エリアでは棚田や竹林など、昔ながらの里山の風景が残り、グリーンツーリズムなどの面でも注目されている。その他、2つの滝がある虚空蔵谷。そのさらに奥の竜王谷の泉は一度も枯れたことがないと言い、古くから雨乞いの祈願がおこなわれてきた。信仰の対象となってきた「竜王権現の石」、幹の太さが4メートル近い「竜王の杉」が残る。また、桜の並木が立ち並び夏にはホタルも飛び交う虚空蔵谷川畔、松井から八幡市の美濃山一帯にかけて広がる竹林も大変美しく、地元の人びとに愛されている。長い歴史の中で形成されてきた暮らしの中にある豊かな自然が京田辺の暮らしに彩りを添えている。