フィールドパッチ

京田辺の

松井山手周辺の大規模店舗、京田辺・新田辺駅周辺の商店街やショッピングセンター、そして近年区画整理が終わり賑わいを増している南の三山木駅周辺。移り変わる商いの現場に迫る

新田辺駅の東側、市内で唯一の商店街、キララ商店街がある。地域で暮らす人々と寄り添いながら営業が続けられてきた。現在では建物の老朽化などもあり、空き店舗も目立つが積極的に新しい取り組みを進めている。「商店街はものを売る場所というだけではない。まちづくりをする場所でもあるんです」と語るのは市キララ商店街理事長の田原さん。商工会の理事も務める田原さんに話を伺いつつ京田辺の商に迫る。

話を聞いた人:田原剛さん(商工会理事・キララ商店街理事長)

京田辺の商業

北・中・南に分かれる京田辺


「現在では、京田辺市の商業エリアは大きく「北・中・南」にわかれています」と田原さん。北は松井山手駅周辺とした京阪電鉄が開発した比較的大型のテナントが立ち並んでいるエリアだ。個人商店などは少なくいわゆるロードサイド型のお店が多い。一方、三山木駅を中心に開発が進んでいるのが南のエリアで、近年区画整理が完了し、徐々に店舗も増え賑わいが生まれてきている。三山木地区には同志社山手などの新興住宅街の開発も進んでおり、今後一層の発展が予想される。そうした南北の開発の影響を受けているのが新田辺駅、そして京田辺駅周辺の中エリアだ。徐々に地盤沈下が起こりつつあり、駅前も以前ほど賑やかではなくなってきた。市も三山木の区画整理がひと段落したことを受け、中エリアの再生を意識しているという。
 本来、これら3つの商業地をうまく集約し、街全体として盛り上げていくことが必要だが、現在はあまりうまく機能していない。「こういった状況を改善するには、みんなが「まちづくり」という視点をもつことが大事だと思います。この時のまちづくりって一体なんなんだ、ということですね。市長や、議員さんがやるようなことではなくて、地域や商店街レベルで考えれるものということです。そうすると地域がつながっていくと思います。で、まちづくりに関心を持ってもらうためには、先ずはここ、商店街から関心を持ってもらうことが必要」と考え活動してきた。

商店街のこれまで


新田辺駅周辺の開発が始まったのは昭和45年頃。古くは現在の京田辺駅の西側、市役所と駅の間のエリアが街の中心で商業地としても賑わっていた。戦後、近鉄の駅ができ、それまでは畑や田んぼが広がっていた場所に宅地が開発された。それに合わせて駅前に店舗が建てられ、テナント募集が始まったのがキララ商店街の始まりだ。同時期に、周辺の商店主が集まり田辺デパート(現サンフレッシュの建物)もオープンしている。田原さんのお父さんも、この時に店を構えた。平成に入ると区画整理に伴って新田辺駅の西側が開発され、大型のショッピングセンター(アルプラザ)ができる。そうした状況の変化に対応できるようにと平成12年に商店街企業労働組合が結成された。現在のキララ商店街は駅東側の店舗が多数加盟している。京田辺より南側の近鉄沿線には商店街が存在しおらず、キララ商店街は特異な存在だ。当時、青年会議の理事長として活動していた田原さんは、商店街店主の高齢化に危機感を覚え、平成20年にエボレボ(エボリューションとレボリューション)という40歳前後の店主や従業員による組織をつくり活動してきた。

未来に誇れる商店街を目指して


「組織を作って一番最初に行ったことは、ハード事業からソフト事業に切り替えたことです」と田原さん。建物を所有している近鉄の事情で新規の事業者が入ってこれず、新しいお店を増やすことが難しくなっていたためだ。「商店街を舞台にイベントを開いて街を盛り上げようと考えました。商店街だけでなく地域全体の活性化に、キララ商店街という場所がどう関わっていけるのかを考えている」。現在商店街を利用しているのは、主に駅の東側にある田辺高校の学生や、府営団地、マンション街の住民といった人たち。せっかく大学があるのにあまり接点がないのが課題にもなっている。これまでに、地域の人が作品を発表できるギャラリー、教室として利用出来るスペースの運営、マスコットの全国募集、今では国内だけでなく国際的な広がりを見せる「事務椅子レース」の開催など、他にはないオリジナルの企画を次々と打ち出してきた。「子どもたちが京田辺にはこれがあると胸を張れる、未来に誇れる商店街を残す」のが願いだ。

京田辺を構成する6つのフィールドから見る

フィールドの縫い目から見る