フィールドパッチ
現在も市内に残る天井川。物理的に土手が空間を隔てるだけでなく、各集落の領域の境界にもなっていたようだ。農業で生きるこの地の人々にとって水は今も昔も欠かせない存在でもあり、また同時に川の氾濫という災いをもたらすものでもあった。鎌倉時代の記録にも薪と大住の集落が水の取り合いで争ったという記録がある。嘘か誠か、それぞれの集落が、水がこちら側には来ないようにと、両側から川の土手を競うあうように高くしていった結果、天井川が生まれたという説まである。それほど水の管理が重要だったのだろう。かつては多く存在していた天井川も今では3本が残るまでとなっている。
京田辺を構成する6つのフィールドから見る
フィールドの縫い目から見る