池永 梨乃

アーティスト

池永 梨乃

アーティスト

同志社大学で、美学芸術学科に在籍し、美術史やアートビジネスなどを学んでいました。 2012年頃より大阪でペインターとして自身も制作活動をはじめました。 いつも興味の方向は様々ですが、自分でも気づかないうちに、常に何か作りたくなるからです。

今までの作品について

自然現象の中にある不思議に感動する気持ちを原点に自由に制作しています。
いつも、アートとは何かという問いへチャ レンジしたいと思っています。そして、3つの答えを考えました。一つは、アー トは人間の進化様々な視点から考えるものであるということ。2つ目は生きている 喜びを実感するもの、最後に自分とは何かという問いを掘り下げるものということ です。私は、この3つを念頭に置いてイメージしたものを絵にし始めました。 また、私のよく用いるモチーフに、なぜ歯茎かという質問が多くありますが、 ジェンダーレスであり、生命の象徴として描いています。絵を描いている時の生き 生きとした実感を表現したいと思っています。 そして、ダリのシュールレアリズムやファッションのモードに影響を受けています。 自分の表現を考えた時、異質と思われるモチーフを使って絵がもつ印象をコント ロールし一つの世界観を作品に落とし込むことが私の絵の核となっています。

今回のリサーチテーマ

福知山の暮らしの歴史と水害は切っても切れない関係にありました。滞在中、今もなお、人々は自然と共に生き、時に闘う姿が見えてきました。ここには、都市に住む現代人が忘れつつある「人間も自然の一部である」という感覚が人々の心に残っていると感じました。

そこで私は、福知山の人々が街を愛する気持ちや、自然に対する形のない敬愛のような感情を作品にしたいと思いました。自分も自然と一体化したい気持ちも相まって、虫になるようなイメージがありました。そこで、滞在中何度か目にしたタマムシが、自然界に放つ奇抜な色に感動して、タマムシになって街を歩くのを思いつきました。福知山で見つけたすばらしい自然の舞台でセルフポートレートのような写真をとりながら、福知山の人と背禅の関係についてリサーチしました。

養蚕は生物としての蚕、生活、信仰、地域、経済といろんな側面を持つとても面白い明治以後の日本の一側面を移す歴史と密接した産業です。
残念ながら現役の養蚕農家さんに伺うことはできませんでしたが、お話を伺う中で、福知山で養蚕が盛んになったのは由良川の地形と幕府の出した決まり事に理由があったり、蚕輸出のグラフの上がった時期に福知山の養蚕農家さんの収入や生活も大きく変化していたり、日本史の大きな流れが福知山の生活の中に凝縮されているのを見つけるのもとても面白かったです。

コミュニケーションについて

タマムシになって沢山の街の人と会いました。写真を一緒に撮ってもらったり、福知山の自然に対する思いを協力的に話してくださりました。福知山には植物園があり、そこから街の緑化運動が啓蒙されていました。その成果であるのか、街のあらゆるところで植木鉢にゴーヤや、サボテン、手入れされた花々が見られたのが、私の福知山に対する第一印象です。

ハプニング

ハプニングというハプニングはなかったですが…
「鬼伝説」が伝わる街で、タマムシの格好をしていると、鬼と頻繁に間違われていました。鬼祭りにゲストとして誘っていただいたり、私が思っても見なかった受け入れ方をしてくださったので面白かったです。

今後の展開

アートとは、一個人の独り言の結晶ような細やかなものですが、そこに世界をこのようにしたいというアーティストの叫びがあるように思います。
また、アート作品を通じて、出会った事のないだれかが同じ感覚を持っていると知ることで、救われるような気持ちになるときもあります。感覚を共有するということは、地球とつながっている感じにもなります。そういう瞬間に私は人間の創造性を感じます。

「タマムシ色の意見」や「タマムシ色の答弁」というそれぞれが違う視点からとらえられるという意味の言い回しがありますが、一つの活動を通じて、捉え方に広がりをみせられる作品を作っていきたいと思っています。そこに、ただ目に優しいだけでない考えさせられざる得ない要素を足したいです。
今後の展開としては、今回得た新しい感覚を自分の中で再現できるように温存し、絵の制作やエッセイを書いたりしたいです。

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